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子どもの失敗をネガティブな記憶にしないために

前回『ネガティブとの付き合い方と人の本質』という記事を書きましたが今回はその追記的なものになります。

今回は子どもに影響し得る可能性について書いてみたいと思います。

とはいえ僕は専門家ではありません。ひとりの父親が、信頼できる保育園から学んだことをベースに自分なりに考えて掘り下げたものでしかないので、あくまで1つの考え方として捉えていただければ幸いです。

子の失敗と親の”つい”について考えてみる

嫌な記憶はチャレンジ精神に直結?

まずそもそも子どもにとってのネガティブってなんでしょう?

失敗すること?

僕は『失敗に対しての周囲のネガティブな反応』だと思います。

子どもが何か失敗したときに親が”つい”叱っちゃったり、叱らないまでも”つい”大きなため息をついちゃったり。。。

大人にとっては”つい”で済んじゃうようなことも、子どもにしたら「自分が失敗したら親が怒ったり悲しんだりする」って感じるわけです。

これこそが子どもにとってのネガティブな記憶だと思うのです。

短期的に見れば些細なことかもしれないけど、あまり続くと『成長のための失敗の記憶』を超えて『トラウマ』になりかねないと思うんですよね。いや大袈裟でなく。

「自分は成功したら褒められるけど失敗したら怒られる」なんてプレッシャー以外の何者でもないわけで、この心理のまま大人になるとチャレンジすることに後ろ向きになってしまう気がする。

逆に言えば大人の受け止め方ひとつ、返す言葉ひとつでチャレンジ精神は育つものと考えられます。

僕ら夫婦が教わったのは『子どもの感情を代弁してあげること』そして『次はどうすればうまくいくかを一緒に考えてあげること』です。

『感情の代弁』とは「できなくて悔しかったね・悲しかったね」と代わりに言ってあげること。うまく言語化できないときに代弁してあげることで、子どもにとっては自分の理解者がそばにいるという安心感を得るそうです。

そして答えを全部教えるのではなく『一緒に考える』ことで、ヒントを与え本人が気づくように導いてあげる。それによって成功体験を得て、自己肯定感に繋がってゆく

なるほどねー。

でも心に余裕がないとなかなかできないんですよね。。。

”つい”はストレスに連動する?

当たり前だけど子どもは失敗するもの。なのに5〜6歳くらいになると”つい”そんな当たり前のことが頭から抜け落ちたりするんですよね。

僕も”つい”やっちゃったこと何度もあります。でも、「ちょっと!」とか「あーあ」とか言っちゃった直後の子どもの顔見ると、この世にこんな切ない表情あるのかって顔してるんですよ。。。

そして”つい”やっちゃうときって往々にして疲れてるときやイライラしてるとき、ストレスを抱えてるときなんですよね。そういうときって『あらゆるキッカケにストレスの捌け口を求めてる状態』だから些細なことでも過剰に反応しがち。

子どもの失敗なんて健康と命に関わること以外ほぼほぼ『まーいっか』で済むんですよね。ちょっと冷静になればわかるはずなのに、わからないくらい疲れてることあるんですよ。

ストレスを自覚したらしっかり発散したほうがいいです。子どもを短時間保育で預けてリフレッシュしに行ったっていいし、必要なら仕事を休んだっていいと思う。

子育てや仕事に責任感や義務感を持って取り組むことももちろん大事だけど、それよりも家族が笑っていられることの方がもっとずっと大切かなと僕は思います。

真面目な人ほど陥りやすい?

なんかこうやって書いてたら、”つい”やっちゃう人って真面目な人が多いのかなぁって思いました。

僕も変に真面目だし。

ちゃんと子育てしよう⇨⇨知らず知らず疲れ・ストレスが貯まる⇨⇨”つい”やらかしてしまう⇨⇨反省して改めてちゃんとやらなきゃと思う⇨⇨ストレス、、、みたいなループ。いや俺絶対このループ体験済みだわ。。。

しかもこのループの被害者は子ども。これはやはり早く抜け出さねば。

大人が思ってるよりも子どもは繊細であると思ったほうがいいし、親には受け入れる大らかさがあったほうがいい。『子どもの成長には、親の”注意”よりも”見守り”』が大事なんです。

なんか10年も子育てするとホントいい意味で適当でいいんだなぁって思います。手も力も抜けるところは抜けばいいし、メリハリって大切だなって。

『いい加減は良い加減』

はい受け売り!でも好きな言葉!

それではまた(=゚ω゚)ノ

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